

「紀元前219年、1,000人の子供たちが中国河北省千童県から日本に渡った。これが日本人の先祖である」。日中両国に伝わる徐福伝説を、中国千童県と一緒に現実にしませんか

千童県の千童城(博物館)。ここには徐福伝説の資料や模型、記念のモニュメントが建てられている。
「徐福伝説」をご存じだろうか?
紀元前260年、秦の始皇帝が部下の徐福に命じて東方に不老長寿の薬を探しに行かせ、日本を発見し、その徐福が日本人の先祖だという伝説だ。
中国ではこの伝説はみな知っており、伝説とはいえ日本人が中国人の後裔だと一般に信じられている。日本ではあまり知られていないが、当時徐福は中国各地から集められた優秀な1,000人の子供達(千童)とその世話係(兵士や職人たち)敬訳3,000名で3度に渡る挑戦を経て日本九州へ辿り着いた。その際日本の原住民と交流し、定住。中国の様々な技術を日本へ伝えたのだという。
この記述は古くは司馬遷の『史記』『漢書』『三国志』『後漢書』『三斉記』『括地志』『太平御覧』『太平寰宇記』『山東通志』『青州府志』など、幾多の時代を通じ、中国の歴史文献に絶える事なく記載されている。
その男女1,000人の子供たちが旅立ったのが、ここ中国河北省滄州市千童県である。
中国のみならず、日本でもこの徐福伝説の研究がなされており、徐福伝説の残る地方は20数か所にも上る。「徐福伝説」で検索すると、多くのホームページが出てくる。
1982年より徐福が日本へ旅立った地として、県名にこの徐福伝説の名前を冠した千童県は、千童公園などの建設をはじめ、日中交流の観光事業に力を入れている。
千童県では県長はじめ、日本企業・団体の視察を常時歓迎している。
詳細は日本語でお問い合わせください
info@infochina.bz(高橋)

徐福が祭られている「東渡堂」。 東とはもちろん、日本のこと。

博物館内の壁に描かれている徐福たちと日本民族との邂逅。右の列に日本人、左に中国人たちが並ぶ。

九州各県を筆頭に、日本約20箇所の神社などに、徐福伝説が残る。徐福達は東渡を3度試み、二度失敗して韓国済洲島を経て北は青森県から南は鹿児島県まで日本各地に流れ着いたとのこと。

幕末に編さんされた『西国三十三ヶ所名所図会』の徐福上陸図

千童県では、千童公園の整備などをはじめ、徐福伝説を基にした日中友好事業を推進している。(写真は徐福の墓がある和歌山県新宮市徐福の徐福公園 )